塾をオンラインスクールへ…3.11あの日の決意

2011年3月11日。

 

わたしの故郷は、大きな真っ黒な津波に飲み込まれ、町ごと姿を消しました。

 

仕事の関係で東海地方にいたわたしは、それから1週間ほど、親・親戚・友人、誰とも連絡が取れず、生きているのか死んでいるのかも分からない、自分が向こうに帰って確かめることもできない、不安と心配でどうしようもない日々を過ごしました。

 

 

高台にあった実家は無事で、幸運にも両親や姉弟は無事であったことがわかりました。

けれど後に、色んな方が亡くなったことを知りました。

親戚のおじさん。友人のご両親。高校の同級生…。

キリがないほどです。

 

辛うじて生きながらえた方々から、逃げる途中ふり返ったら、さっきまで一緒に逃げていた人が津波に飲まれていなくなっていたという話や、ご近所のご高齢のお婆さんが心配で迎えにいったら、「自分は脚が悪くて歩けないから、もう気にしないで先に逃げなさい」と言われた話など、聞くに堪えないそれぞれの出来事を沢山耳にしました。

命があっても、心に大きなしこりを残すような、辛い経験には違いありません。

 

 

それから数年、家を無くした多くの方々が、仮設住宅で不自由な暮らしを強いられ、子どもたちは、学ぶ環境を無くしました。

けれど、今こそ子どもたちは学ばなければならないのではないか?と思いました。

この町の復興には、何年、いや何十年かかるか分からない。

大人たちがどうこうではなく、未来ある子どもたち自身で、どんな町にしていくのか、たくさん知識をつけ、考え、これからを作っていかなければならないのではないかと思われたのです。

 

 

生活を支える電気・ガス・水道など、最低限のインフラの再復旧には、かなり時間を要しました。

しかし、情報通信・インターネットの復旧は、比較的早く整いました。

そして思いました。

 

公教育ではなく、民間教育にできることって、何だろう?

民間教育にしかできない役割って、何だろう?と。

 

公教育がストップするとともに、ストップして機能しなくなる塾や予備校に、一体なんの意味があるんだろうと、何度も自問自答を繰り返し、その矛盾に悶々としました。

 

それから2年して、会社員として任されていた自分の職務を全うしたわたしは、何の未練もなく辞表をだしました。

 

それが、現在の弊社の前身にあたるOFFICE CbyEで、オンラインを生かして新しいスタイルの学びを提供する、通信教育と塾の利点をそれぞれ融合させたサービスです。

当時、静岡県にいながら、宮城県や岩手県や他都市のお子さんを、オンラインで遠隔的に学習サポートをしていました。

 

 

近頃、コロナウイルスの話題で社会が混乱しています。

学校休校措置により、子どもたちが自宅待機を余儀なくされ、自宅での過ごし方でご苦労されていらっしゃる方々も少なくありません。

 

わたしの感覚では、まるで東日本大震災の再来のよう。

 

オンラインが良いということを主張したいのではなく、子どもたちの自主自立を主張したい。

モノや場所がなくても、情報を利用し自ら学べるようになってもらいたい。

弊社のようなオンラインスクールは、あくまでその手助けに過ぎません。

塾にしろオンラインスクールにしろ、そこへ依存しているうちは、このような世界的な社会の混乱に振り回され、右往左往するだけです。

 

 

子どもたちは、自らの経験を元に自ら学ばないといけない。

それは学歴のためなどではなく、そういった力無しに、これから先の未来を生きられないのではないかと懸念されるからです。

 

何があっても知恵をもって、他者を思いやりながら他者と協力し、それらを乗り越えていけるだけの、強い自立心を育みたい。

その想いから、わたしはこの株式会社CbyEDTECHを創設しました。

 

 

辛かった過去は、明るく豊かな未来を作り得ます。

子どもたちに勉強を通し、そういった未来への道筋を自分の力で、切り開いていってもらいたいと切望します。

 

 

設立までの想いを是非お読みいただけたら幸いです。

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https://www.business-plus.net/interview/1905/k4795.html?fbclid=IwAR3r8p2sXbXFltDvG6hVAXAUGHMxD1iNzJGsKRYxRC1qLRQEL6c2_qzBLb0