こんにちは! CbyEDTECH・子どもコラムニスト、“Maia”です。
私は以前、北イタリアに行ったことがあるのですが、今年6月、今度は南イタリアを訪れました。
同じイタリアでも、そこでは時間がゆっくりと流れ、違う国に来たようでした。
南イタリアではナポリ、アマルフィ海岸、ポンペイ、バチカン市国に行き、これらの場所では、住人の生活、街の雰囲気、そして歴史を意識してみました。
ナポリではドゥオモという大きな教会に行って、街を歩き回りました。 街はピザのいい香りでいっぱいでした。
赤いチリ、唐辛子は悪いエネルギーを取り除く魔除けを表しているため、チリのアートやお土産がたくさんあります。
通りは昔のヨーロッパのイメージそのままで、たくさんの教会が開かれていて、キリスト様の絵が街中の壁にたくさんあり、キリスト教の地域でした。
ピザはとても美味しくて、チーズがクリーミーで生地が軽いのに満足感があり完璧でした。
ナポリはピザが一番有名であるのがよくわかるほどで、ローマで食べるよりも美味しかったと思います。
石畳の道は、でこぼこしていて昔ながらでした。
街は細い道だらけで、それぞれの通りの両側には、1000軒以上のアパートが並んでいて無限ループのようでした。
ナポリは観光に合わせて作られたような街で、ほかのイタリアの街より柔軟性があるように感じました。
住民やお店の人たちはルールに囚われすぎず、程よい程度で自由を与えてくれました。例えば、妹が年齢が規定に達していなくてもレストランで融通を効かせてくれました。
一方、 ホームレスも多くて、人の飲み残しを飲んだり、ゴミを漁ったりしている人もいて、悲しい場面を見ました。
ナポリの南アマルフィ地域の海は、青くて空と混じり合うほど遠くまで見えて、毎日違う海を見ることができました。
まさに田舎のヨーロッパで、レモンの木と、オリーブの木が多く、レモンがメロンの大きさで実っていました!
泊まったホテルは野菜を自家栽培していて、自慢のオリジナルのアルコールやオリーブオイルなどもオリジナルで売っていました。
ピザ作りのレッスンをうけることができて、自分で作ったホカホカのものを食べられました。すべてフレッシュな素材を使っているため、よりコクがありました。
海は3日間いても飽きませんでした。天気によって色が変わり、朝はグレーで、夕方はオレンジになったり、船もたくさんいて常に忙しかったです。
空気は綺麗で透き通っていました。そして、虫が苦手な私でも嫌にならいほどで環境的には完璧でした。
ポンペイには富士山と同じような生きた活火山ヴェスヴィオ山があり、過去には紀元79年8月24日に噴火しています。
私はヴェスヴィオ山を登り、人と火山の大きさの違いに、もし火山が噴火したら人間の力では止められない、コントロールできない自然の力があるのだと感じました。火山の中のマグマは酸性で、常に噴気が出ているべきだそうです。
ポンペイの火山は紀元79年に噴火しています。
しかし、当時住んでいたギリシャ人とローマ人はまだ活動中の火山の隣に住んでいることを知らなかったそうです。
噴火の17年前に、町を揺るがす大きな地震があり、それによってすべての建物が倒れてしまったそうです。
当時ポンペイを支配しにきたローマ人である裕福な人々は、別の町に移動したそうです。
一方、建物を修理していたのは奴隷でした。
ポンペイに住んでいた元々の人々はギリシャ人だったので、奴隷はほぼギリシャ人でした。
地震の17年後、火山が噴火しましたが、噴火にも3つの段階がありました。
最初は、有毒ガスの放出でした。この段階ですでに多くの人々が亡くなりました。熱いガスが肺を燃やし、奴隷たちを殺しました。
次の段階は、火山活動によって引き起こされた石の雨でした。火山から降り注ぐ石は、想像できないほど熱かったそうです。
最後の段階は、地震と津波でした。
これらすべてを経験した人々は、最初にガスで口元を押さえ、助けを求めたことでしょう。
家が破壊され、当たれば殺される可能性がある石の雨を通り抜けなければなりませんでした。
そしてそこまで生き延びて港に到着し、逃げるための船を見つけようとすると、地震で海の水が引いてしまっていたため、ただの空き地があるだけでした。
海まで来たのに自分を隠したり守ったりする場所がないことを想像してください。そこには絶望しかない状況だったはずです。
貿易で豊かなポンペイの町は、その瞬間に終わったと言われています。
バチカン市国を訪れました。
バチカンはディズニーランドよりも小さいと言われている通り、私が教会の上に登って下を見た時すぐにローマの境界線が見渡せました。
バチカンにはたくさんのルネッサンス美術品があり、歴史の教科書に載っているような絵画や大聖堂がありました。
バチカンの中心であるサン・ペドロ大聖堂は象徴的で美しく保存されています。この大聖堂は十字架の形をしており、天井と壁には美しい絵画が描かれていました。
複数のドームとアーチには、終わりのない穴のように見えるよう、多くの層でつくられていました。
また、多くの教皇の墓もあり、それらを守るために教皇はワックスで覆われて、本物を見ることができました。
バチカン市国で展示されていたもう1つの象徴的な作品は、システィーナ礼拝堂の壁画、「最後の審判」でした。
息を呑むほど美しい作品で、一度にたくさんの物語が描かれていました。
絵画は復活、天国と地獄に行くことをテーマにしていました。
ミケランジェロが好きだった人や、嫌った人の詳細や性格があらわで物語に彩りを添えていました。
次回のコラム、「イタリア後編・ローマ」でもいろいろな歴史に触れますが、バチカンではルネッサンスの絶品を見ることで、当時の人と同じような衝撃を受けているのだろうと感じました。
また、田舎のヨーロッパは他の国ではない優雅さと落ち着きを覚えました。それぞれの場所にその場でしか味わえない雰囲気があり、明確に表現するのが楽しいと感じました。
自分にハマるイタリアを探すのも面白いと思うので、いつかイタリア全土を回ってあらゆる町や文化歴史を見るのも蠱惑的なことだと思います。
イタリアに興味のある方は、ぜひ後編のローマも読んでくださいね!