こんにちは! CbyEDTECH・子どもコラムニスト、“Maia”です。
この冬はウズベキスタンを訪れ、クリスマスと年越しをすることができました。
イスラム教徒の国であり、タシュケント、ウルゲンチ、ヒヴァ、ブハラ、サマルカンドを訪れました。
シルクロードの中央地点で、文化の発展とその歴史が綺麗に残っている魅力を感じました。
初日は首都であるタシュケントを訪れました。
雰囲気はモンゴルにとても似ていて、ロシアの街並みとイスラム教の影響が多く見られました。
タシュケントには高層ビルが建ち並ぶところもあれば、横長のアパートやマーケットのような並びもあり、地域によって、発展スピードが違うのが分かりました。
ウズベキスタン料理を食べました。
プロフと言うインド料理のビリヤーニに似ている、ラムのチャーハンみたいな食べ物や、トルコ料理にもあるケバブを食べました。
日本で言うケバブとは違い、大きな串に刺さっていて、チキンや牛が軽いスパイスで味つけられ、とても馴染みのある味で美味しくいただきました!
また、タシュケントではティムール帝国の王・ティムールの銅像を見ました。
彼は国が今でも誇る英雄です。
ティムール帝国はチンギスカンの二百年後にトルコから、北インド、ほかには〇〇スタンとつく全ての国まで帝国を広げました。
城郭都市であり、16-20世紀ヒヴァ・ハン国の首都であったヒヴァを訪れました。
シルクロードの隊商都市であり、泉を中心に発展したと伝承されてきたムスリム教にとって聖なる土地だそうです。
ヒヴァはタシュケントに比べると砂漠気候で、朝からモヤがかかっていて肌寒く感じました。
また、とても乾燥していて、肌荒れしたり喉が渇いたりしました。
ヒヴァの見どころとランドマークであるミナレットにも行きました。
ミナレットの歴史は、ムスリムのお祈りであるアザーンを高い所から流すために作られたそうです。
高さは最高でも56mあり、登るにはとても疲れました。
クルクルと回るように設計され、天井が頭に当たりそうになる高さです。
横幅も狭くて、次の日には筋肉痛になりました。
上からの景色は絶景で、夕焼けと旧市街の相性は絶妙でした!
次は、ブハラに寝台列車で6時間かけて向かいました。
寝台列車は日本とすごく似ていて、昼頃出発しましたが、着く頃には夜でした。
ブハラではスザニについてもっと学び触れ合うことができました。
スザニは17世紀頃から中央アジアの遊牧民が作ってきた伝統的文化で、女の子が生まれると、一族の女性が縫い始め、嫁入りの時に持参品として渡されるものです。
ウズベキスタンを代表する工芸品であり、地方によって異なる所産の柄があります。
ブハラではザクロ柄が定番です。
私たちもザクロ柄のスザニを購入しました!
縫う体験もさせてもらえました。
2時間ひたすら縫い続けましたが、一番小さい布の半分も終わらなかったです。
大きなヘッドサイズの布を4ヶ月で終わらせられる職人さん達がいるそうで、その凄さが体験したことでよく分かり、もっと価値の高さを実感できました。
次は、サマルカンドに向かいました。
サマルカンドはティムール帝国の首都でした。
レギスタン広場では、中央アジアで初めて建設された大学を訪れました。
広場はティムール王の孫世代が作ったもので、何十年もかけて作られてきました。
壁の多くのデザインはモザイク画です。
半分ほどが修復されたもので、もう半分がオリジナルのモザイク画です。
モザイク画は、修復した新しいものより、昔からある古いオリジナルのほうが品質良く、古いモザイク画の制作テクニックは、いまだにどのように作られているのか分からないそうです。
いまだ解明されないほどのテクノロジーが当時からあったことを考えると、ピラミッドと同じくらい疑問に感じました。
大学では資格を取った先生のみが教えることができ、どんな人でも入学は無料で、15年間ほど通ったそうです。
ウズベキスタン人だけではなく、アラブ系やトルコ系やエジプト系の人も集まり、心理学、数学、天文学、宗教を教えていたそうです。
当時は、大学と言えば神学校だったため、学問の場を提供する大学は初めてだったそうです。
学校は、一人の先生に対して2、3人の少人数で、2階建ての寮と教室の合体している部屋で勉強をして、金曜日は休日でお祈りをする日でした。
次の日はシャーヒズィンダ廟群やビビハニムモスクを訪れました。
ビビニムモスクはとても大きなモスクで、ティムールがモンゴルから帰国した際に作られるよう5年間で仕上げられたそうです。
ここにはいろいろな言い伝えがあり、世界最古のコーランが置かれています。
そこで3回願い事を言いながら歩き回ると願いが叶うとされています。
しかし、5年という短い期間で造られたため、すぐに壊れ始めてしまい、半分ほどは修復されているそうです。
シャーヒズィンダは、ティムールの妻たちや子供や孫、自分の将軍などティムールの身内の墓です。
金色のドームや、サマルカンドブルーと言う青をたくさん使ってリッチに作られていました。
ティムールの家族愛がよくわかり、仲間への信頼も示されていました。
また、ウズベキスタンではウズベク語と第二ヶ国語としてロシア語を話します。
ウズベク語とロシア語は、日本語の文法に似ているそうで、主語のあとに述語という順番だそうです。
ウズベキスタンでは、いろいろな言語を喋る人がいます。
ウズベク語はウィグル語に似ていて、ウィグル自治区の中国系の人とは、英語や中国語ではなくウズベク語を話す方が通じ、人と話すときには何語で話すかを地区単位で決める必要があるそうです。
また同じく、韓国系のウズベキスタン人は3-4世代、ウズベキスタンで生まれ育っている人が多く、ウズベク語しか喋れない人も多いそうです。
ウズベキスタンでは、シルクロードの時代から発展してきている文化や、ソ連の影響、イスラム教の混ざり合いを見ることができました。
それぞれの考え方はバラバラなのに、うまく調和しバランスのよく、平和な国だという所が魅力的でした。まさに、本当のモザイク国家です。
これまで行ってきた様々な国とはまた違い、1つの分野での多様性だけではなく、ウズベキスタン人の食・衣服・祈りといった生活は、考え方がそれぞれ違う、歴史、文化、政治の重複点であり、シルクロードの中央地点だからこそ生まれた価値観だと考えました。
ウズベキスタンを訪れたら、その独特な雰囲気に注目してみてください!