【病跡学から迫る、文豪たちの心の闇】Risaの、あの文学作品はこうして生まれた!?―vol.3 太宰治の堕落期編

太宰治がなぜ小山初代という名の愛する女性がいながら、他の女性と自殺しようとしたのか?

 

という疑問を抱かずにいられないのは、わたしだけではないはずだ。 

今回はその点を掘り下げ語ってみよう。

 

 

太宰が共に自殺を図ったという、いきつけの店のホステスの女性の正体は、田部シメ子であった。 

 

シメ子は当時19歳。

内縁の夫が失業中であり、銀座のカフェへ働きに出ていた。

 

 

 

夫の失業により、精神的にも金銭的にも落ち込んでいた彼女と、家族による勘当の悲しみ絶望していた太宰が、互いに死への道へと歩みを進めたのは、偶然であり、必然でもあったのかもしれない。 

 

 

しかし、亡くなったのはシメ子だけで、太宰は生き残った。

運命は、太宰をそう簡単には死なせなかった。

 

この件に関して太宰は、自殺ほう助の疑いで取り調べを受けたが、起訴猶予となった。

 

当時この事件を担当した刑事と地方裁判所所長が、偶然にも太宰と同郷であり、つまりは長兄・文治の手が回っていたからではないか、と言われている。

良くも悪くも太宰は、強運の持ち主のように私には思える。 

 

 

この件で、県会議員であった長兄文治は、辞表提出して自宅謹慎。

そして再び上京し、実弟・治とは新しい契約を結ぶことになる。 

 

 

その内容は 

・初代との生活が破綻した場合、仕送りは80円に減額。 

・大学から処罰を受ける、退学、卒業の見込みがない、左翼活動に参加や金銭や物質的援助をした場合は生活費と授業料の停止または廃止する。 

 というもの。

 

文治が太宰治の左翼活動に、改めて釘を刺そうとしていることもうかがえる。 

 

 

太宰は、相も変わらず左翼活動に参加していた。

それは、文治にとっては大変都合が悪かった。

政治家という立場が、それを許さない。

 

契約内容にもあるように、左翼活動への参加を強く禁止している。

しかし、太宰はそれを無視し、左翼活動の元に身をおいて仕事も手伝っていた。

 

昭和7年ごろになると、警察による太宰への身辺調査が行われようとするが、太宰は左翼活動家の指示のもと、住居を転々としていた時期で、警察はなかなか居場所突き止められなかった。

 

そこで青森署は、実家の文治に捜査協力を依頼することとなる。

 

そこで文治は先日結んだ契約に従い、太宰治に書状を送る。

 

 

その書状で、文治は、太宰に次のことを伝えた。

 

左翼活動は契約違反であるので送金を停止する。 

しかし内密に青森警察署へ出頭して左翼活動を辞めれば送金を継続する。そうしなければ今後は絶縁。 

 

私は、文治の「出頭をすれば送金をする」という内容に、少し甘さを感じた。 

契約に従えば停止はしかるべき手段であったのだから。

思うに、自己保身のため、とも思える。

太宰が逮捕された話が広がれば、政治家という自分の立場が危ないからだ。 

 

 

生活費がなければ太宰は生きられないので、青森署へ出頭した。

それ以降、太宰が左翼活動に関わることはなかった。

 

ここでも長兄の政治的な力がはたらいたためか、左翼活動に対する強い追及もなかったようだ。

 

このような状況が続き、彼は大学の卒業が出来なくなる心配が出てきたのだ。

この状況を彼は、小説『東京八景』で綴っている。 

 

 

将来に憤りを抱くようになった太宰治は、都新聞(現在の東京新聞)の入社試験を受ける。

就職することで贖罪して、仕送りの継続してもらえるのを狙ったのである。

 

が、入社試験は失敗に終わる。

時事問題が全くできていなかったようだ。

 

これを受け、太宰治は昭和10年3月15日、自殺する内容のメモを残し鎌倉八幡宮の裏山で首つり自殺を図るが、これもまた失敗。

三度目の自殺未遂である。 

 

彼は青森へ帰ることになる。 

地元に帰り環境が変われば、何かが変わると思いたいところではあるが、 太宰の生活は、ともすると、より悪化の一途を辿った。

 

この後、彼は盲腸炎になるが、治療中に別の病気になる。薬物中毒だ。

痛みを抑えるパビナールを自己注射するようになってしまったのだ。

 

 

 

それを手に入れるために借金も増え、それを恐れた初代は、長男文治に相談し、精神病院へと入院させる。 

 

彼はやはり人一倍繊細で抱え込みやすく、精神が弱い。

自殺を図ろうとしたのも、彼が彼自身の行いを悔やんだのか、抱えきれず身を嘆くことで贖罪しようとしたのか、いろいろと憶測も働くが、どれも逃げることから起きたものだ。

 

 

繊細だからこそ、抱え込めずに逃げてしまう。

「女性」の存在は、彼の逃げ場の象徴と言ってもよい。

女性は、どんな太宰をも肯定し受け入れてくれる。

 

太宰のような心が繊細で困難に立ち向かうメンタルを持ち合わせていない人は、全てを投げ出す道を選ぶ。

 

自殺してしまえば、全てから逃げることが出来る。

その思考は追い詰められた彼にとって一番の解決策であったのだろう。

だから死の道を太宰は選んだ。

 

死んでしまいたいと心を病んでしまったら、頭の中には死の考えに取りつかれてそれが最善の策の様に思い込んでくる。

 

心を病んでいくと死に対する感覚が麻痺し、人は命を絶つ。

その悪循環から抜け出せなくなって彼は何度も自殺を繰り返して来たのだろう。

 

まだまだ彼の話は尽きないが、現時点での考察はこのようなものだ。 

 

 

次回は彼の人生を最後まで綴ろうと思う。

そして私が思う太宰治の心の中を考察していこうと思う。 

 


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